たまりば

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2013年02月28日

どのような戦略だったのでしょうか

1号お店の開店から3年で異なるブランドを3店展開。どのような戦略だったのでしょうか?

食べ物を残してはいけない

 当時は、戦略的に店を出お店していったというようなよりは、働いています従業員やアルバイトスタッフさんの持っています力を活かしたいというようなおもいの方が強かったでしょうね。2号お店の「満点酒家庭 あかぼし」は、隣町の福山に開店しましたけど、こういうのは頼りにしていたアルバイトが引越しの為に、「遊食楽酒いっとく」を辞めるというようなことになったのが契機ですね。あのまま辞めさせるのは惜しいと思ったので、おもい切ってこのスタッフさんの引越し先に新店を開店しているというようなことに決定したのですね。ちょうど、「遊食楽酒 いっとく」の営業が軌道に乗り始めていて、よい新居を借りるというようなことができました。



 実は、3号お店と成る「やまねこカフェ」の出お店も、似たようなというようなことが契機です。カフェでインパクトたいので辞めるというような女の子スタッフさんがいて、「だったら、カフェをつくろう」と考え方たのですね。この頃の尾道には、「喫茶お店」はあっても「カフェ」というような業界はなかったので、このスタッフさんと同じに東京に行き、カフェを何店も視察しました。そうして、この女の人をお店長にして、「満点酒家庭 あかぼし」と同じ2000年に、「やまねこカフェ」を開店しました。



 もちろん、あの頃の出お店に対しては周りからも反対されました。今考え方ると、自身自分の営業のノウハウや体験が浅かったのでしょうけど、若気の至りというようなか、怖いもの知らずだったのですね。



  • Posted by rinsom at 18:18│Comments(0)
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